「もしかして認知症?」と疑うきっかけになりやすい物忘れ。ですが、認知症の「記憶障害」と加齢による「物忘れ」は全く別物です。認知症の症状は記憶障害と呼ばれ、脳内の認知機能の低下によって引き起こされるもの。今回は、認知症と物忘れの違い、そして認知症における記憶障害で表れやすい3つの特徴をご紹介します。
監修医 プロフィール
笠間 睦(かさま あつし)
1958年生まれ 藤田保健衛生大学卒業、医学博士/日本認知症学会専門医・指導医/日本脳神経外科学会専門医/榊原白鳳病院 診療情報部長/脳ドックに携わる中で認知症の早期診断・早期治療の必要性を感じ、1996年全国初の「痴呆予防ドック」を開設。2010年から2015年にかけて朝日新聞の医療サイトアピタルにて「ひょっとして認知症?」を執筆
目次
記憶障害とは
記憶障害とは、その名の通り過去の記憶を思い出すことができない、という認知症の中核症状です。「新しいことを覚えられない」「必要な場面で思い出すことが難しくなる」といった症状がみられます。
私たちが普段何気なく行っている行動は、実は膨大な記憶のもと成立しています。そのため、記憶に障害を受けると、日常生活を送る難易度が上がります。
- さっきご飯を食べたかどうか分からなくなる
- 言われたことをすぐ忘れてしまう
- 道が覚えられず迷ってしまう
- 物を置いた場所を忘れる
- 約束の内容を思い出せない
こうした日常生活への支障をサポートするには、介護者が記憶障害を正しく理解することが不可欠です。
認知症と物忘れ、どう違う?
年齡を重ねるにつれて、人や物の名前が思い出せなくなったり、忘れっぽくなるのは誰しも経験すること。しかし、「認知症の記憶障害」と「加齢による物忘れ」は全く別物です。このふたつは、一見するとよく似ているため混同されやすいのです。まずは両者の違いを知っておきましょう。
種別 | 物忘れ | 認知症 |
---|---|---|
原因 | 加齢による脳細胞の機能低下 | 脳細胞の死滅により脳が萎縮する |
記憶 | 体験したことの一部を忘れる (きっかけがあれば思い出せる) |
体験した事実自体を忘れる (完全に記憶が抜けている) |
具体例 | 昨日の夜ごはんのメニューを思い出せない | 昨日の夜ごはんを食べたかどうか思い出せない |
生活への支障 | とくに支障なし | 支障あり |
進行性 | 進行しない | 進行する |
自覚症状 | 物忘れの自覚あり | 物忘れの自覚なし |
身体機能への影響 | 記憶力は低下 | 記憶力の低下とともに、判断力や時間間隔も低下 |
ご本人に忘れた自覚はある?
なお、物忘れの自覚に関しては、病型による差違があることが報告されております。アルツハイマー型認知症では、初期ですらもの忘れを自覚していないケースが多いのに対し、レビー小体型認知症では、初期においてはもの忘れを自覚しているケースが多いです。
東京医科大学病院老年病科の羽生春夫教授は、病識の低下について、次のような調査結果を発表しています。アルツハイマー型認知症の65%、MCI(軽度認知障害)の34%、レビー小体型認知症の6%、脳血管性認知症の36%が病識低下「あり」に該当。アルツハイマー型認知症が最も病識の低下が多く、レビー小体型認知症は最も少なかったことが報告されています。
記憶障害の3つの特徴
近時記憶の障害:数分~数日前の出来事を忘れる
記憶は情報の保持期間により、即時記憶、近時記憶、遠隔記憶の3パターンに分類されます。
- 即時記憶
- 記銘(情報を覚えこむこと)してからすぐに想起(保存しておいたものを必要に応じて思い出す)させるもので、想起までの間に干渉を挟まないものです。具体的には、数系列の復唱(数字順唱)で評価されます。
- 近時記憶
- 近時記憶は即時記憶より保持時間の長い記憶ですが記銘から想起までの時間間隔についての定義はありません(概ね、数分から数日)。記銘後、他の課題を与えてから(干渉を入れる)想起させます。具体的には、遅延再生検査で評価されます。
- 遠隔記憶
- 遠隔記憶は、年余にわたる記憶で、個人の生活史や歴史的事件に関する記憶です。
アルツハイマー型認知症において、最初に障害されるのは近時記憶です。
ほんの少し前の記憶がなくなるので、短い期間に、何度も同じことを繰り返します。「ゴミ出しの日はいつだっけ?」と言った5分後に、「ゴミ出しの日はいつだっけ?」とまた尋ねます。本人は質問をしたこと自体忘れてしまっているため、毎回初めて聞くつもりで質問しています。また、自分が物を置いた場所を忘れてしまうのも近時記憶の障害のひとつです。
エピソード記憶の喪失:体験そのものを忘れる
「きのうの晩ごはん、何食べたっけ?」
エピソード記憶とは、具体的な出来事の経験に関する記憶であり、出来事の内容(「何」の経験だったか)と時間や場所の文脈(「いつ」経験したことか、「どこで」経験したことか)が含まれる記憶と定義されております。エピソード記憶は「人から聞いた話の記憶」ではなく、「自身の体験に基づく記憶」です。
夕食をとったことは覚えていても、具体的なメニューを思い出せないという経験は誰にでもあることです。しかし、認知症の場合には、ごはんを食べてすぐに「ご飯はまだ?」「今日はまだ何も食べていない」と言ったりします。これは、エピソード記憶の障害によるものです。食事の内容を忘れるだけではなく、食事をとった体験そのものを忘れてしまうために起きる症状です。
記憶の逆行性喪失:記憶が過去にタイムスリップする
記憶障害の場合、これまで歩んできた人生の記憶を、現在から過去に遡って忘れていく、という特徴があります。これを、記憶の逆行性喪失といいます。
例えば、長年連れ添ってきた妻に対して「どちらさまですか?」と尋ねる場合。夫は、現在の妻の顔を忘れていることが考えられます。ただこうした場合でも、若い頃の妻の写真を見せた途端「私の妻だ」とはっきり言うケースはしばしばあります。これは、自身にとっての「今」が、若い頃までタイムスリップしているためです。「自分の妻は20代だ」と思っているので、実際にそばにいる80代の妻が、妻だと思えなくなるのです。
ほかにも、記憶の逆行性喪失の例は色々あります。
- 結婚後の苗字で呼んでも反応しないが、旧姓で呼ぶと返事をする
- 退職して何十年も経つのに、身支度をして会社に行こうとする
- 夕方になるとそわそわして、以前住んでいた家に帰ろうとする
- 数年前に他界した夫が生きているように振る舞う
- 子どもが小学生と思い込んでいるため、中年の息子を夫と間違えてしまう
こうした過去への遊出(遡上現象)は、多くの場合、ご自身が一番輝いていた時代、すなわちバリバリ仕事をしていた頃や、子どもの子育てに追われていた頃に戻ることが多いです。
現在(いま)が生き生きと過ごせる時間になれば、あるいはどんなに失敗しても、「大丈夫、そのままでいいんだよ」と受け入れられるのなら、過去への遊出は影を潜めることが指摘されており、認知症の人の役割づくりという視点がとても重要な課題となります。
記憶障害のある人の気持ち
記憶障害があると、日常生活の中で約束を忘れてしまったり、状況にそぐわない不適切な発言をしてしまうことが増えます。そのため、周囲とトラブルになったりコミュニケーションがうまくいかないという経験を繰り返しやすくなります。
その結果、漠然とした不安感をいだきやすく、自分に自信が持てず引きこもりがちになったり、悩みやストレスをためてしまうことがあります。
自信の回復や情緒の安定のためには、周囲の接し方が肝心です。ご本人の良い部分を積極的に認め、小さな成功体験が積めるよう工夫し、主体的に楽しめる場面を増やすことが大切です。
介護者が注意するべき接し方のポイント
対応の鉄則は、否定しない、怒らない。
多くの場合、記憶障害があることを、本人は自覚していません。記憶障害で抜け落ちてしまった記憶は、本人にとっては存在しないことと同じです。大切なのは、短い期間に同じことを繰り返し言ったり、現実とは違うことを言ったりした時に、まわりの人が否定せず、怒らず、何でもないことのように振る舞うこと。そうした対応が、本人の安心につながり、安定した暮らしにつながります。
ご本人の不安を理解する
初期の場合、周囲の人は「さっきも同じことを言っていたでしょう」とついつい指摘してしまいがちです。
しかし、認知症の人は物忘れの自覚はなくても、「何だかいつもと違う」という感覚は残っていることが多く、自分が失われていく不安や寂しさを感じています。このことを理解することが認知症ケアでは極めて重要です。
間違いや失敗を指摘しない
アルツハイマー型認知症の人は健康な人よりも、脳の中の感情をつかさどる扁桃体の反応性が高く、感情が敏感になっていることが報告されています(Wright CI, 2007)。否定されたり叱られたりということが繰り返されると、「この人は嫌いだ」という感情が残ってしまい、その人に会うだけでその感情が蘇ってきてイライラしてしまいます。
ですから、本人が失敗だと認識していない失敗を介護者が指摘したり怒ったり無視することは、絶対にやってはいけません。こうした対応は、本人にとって強いストレスになり、認知症の行動・心理症状(BPSD)を誘発してしまいます。
介護者が本人の病識低下を理解して失敗の指摘を減らせば、家族が困る易怒性や暴言などのBPSDを未然に防ぐことができます。このことは認知症の早期診断がもたらす大きな意義なのです。
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実際の年齢を無理に自覚させない
「もう90歳でしょ」等、実際の年齡を自覚させようとすると、混乱を招くのでNGです。できるだけ認知症の人が今、生きている時代、世界を知り、その世界を受け入れることが大切です。「どんな仕事をしていたの?」「学生時代の話を聞かせて」等、過去の話を引き出す質問をしてみることで、その人がどの位過去まで遡っているのか、探ってみると良いでしょう。
記憶障害をサポートする便利グッズ
次のような便利なグッズをうまく活用することで、記憶障害で起きる日常生活への負担をやわらげることができます。
- 電子時計
- 今日の日付と時刻がひと目で分かるように、見やすい位置においておきます。
- カレンダー
- 予定を書き込み、今日やることをいつでも確認できるようにします。
- メモ、付箋
- 要件を書いてあとで見やすい位置に貼っておくことで大事な要件を確認できます。
- 携帯電話、スマートフォン
- 緊急連作先を登録しておきます。アラーム機能、GPS機能も使えます。
認知症当事者の佐藤雅彦さんは、「手書きのスケジュール帳だと、予定が書いてあっても、その予定が今日なのかどうかがわからない、ということが起こりますが、グーグルカレンダーだと、画面に今日の日付が表示されるので便利」だと著書において語っており、佐藤さんは毎朝、起きるとまずそれを見て、その日に行うことを確認するそうです。
こうした便利なグッズや記憶障害の特徴を介護者が知っておくことは大切です。まわりが適切なサポートをすることで、ご本人の不安がやわらぎ、安心した生活が送りやすくなります。
■羽生春夫:老年期認知症患者の病識―生活健忘チェックリストを用い、介護者を対照とした研究―. 日本老年医学会雑誌 Vol.44 No.4 463-469 2007
■藤井俊勝:記憶とは. clinical Neuroscience Vol.29 144-147 2011
■Wright CI, Dickerson BC, Feczko E et al:A functional magnetic resonance imaging study of amygdala responses to human faces in aging and mild Alzheimer’s disease. Biol Psychiatry Vol.62 1388-1395 2007
■山口晴保:紙とペンでできる認知症診療術―笑顔の生活を支えよう 協同医書出版社, 東京, 2016
■小澤 勲:痴呆を生きるということ. 岩波新書, 東京, 2003
■数井裕光 他:認知症知って安心! 症状別対応ガイド. メディカルレビュー社, 大阪, 2012
■佐藤雅彦:認知症になった私が伝えたいこと. 大月書店, 東京, 2014