介護コラム

連載介護小説「ユウキの日記」vol.8

第8話「やっと、何かが見えた気がする」

【前回までのあらすじ】
伯母を正しく介護するため、介護の勉強を始めることにした主人公・有紀。
検索の末に介護職員初任者研修(ホームヘルパー2級)の資格に辿り着いた有紀は、「家族の介護にも役立つ」というキャッチコピーに惹かれ、さっそく受講を決意する。
アラフォーである有紀にとって、数十年ぶりとなる授業が始まるのだった。

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期待外れの授業

最初、私はこの授業にひどく落胆しました。前半の勉強内容が全て「座学」だったからです。
当時の私は、プロの介護職員!という響きにとても期待していました。
今思うと、まるで魔法使いの学校にでも来たつもりでいたのかもしれません。

そこではきっと、一瞬でおむつを取り替えたり、理由の分からない真夜中の独り言や暴力、そして汚物いじりをあっという間にやめさせ、また昔のような伯母を取り戻す「技術」を教えてくれると思っていたのです。

しかし研修が最初に教えてくれたのは、「介護施設」について。
私は、この瞬間にも便利な介護術を習いたいというのに!

当然、生徒たちの多くは居眠りを始めました。
授業は午前中から、昼休憩を挟んで7時間あったので、食後は惨憺たるものでした。
「私、昨日夜勤だったのよ」と、隣の女性はこくりこくりと舟を漕いでいましたし、「どうせみんな知っていること」と、前列の中年男性も大あくびを連発していました。

講師の先生も、それが当たり前といった風で、別に注意することもなく淡々と授業を進めていきます。
私は、起きている数人の生徒たちと一緒に、眠い目をこすりながら、この講習に支払った10万円近くの授業料を悔やんでいました。

目を開けて、「私」を見て――とある老婆の手紙

そして続いたのが「人権」「法律」「自立支援」について。
やはり、どれも伯母のような末期ガンで寝たきりの認知症患者には無縁に思える内容ばかり。
しかし、その日の最後の授業の後半で、先生が「分かりやすい文章があるから、一度目を通してみてね」と言って配ってくれたプリントを読んだ途端、私はその場でボロボロと涙をこぼしてしまったのです。

それはある老人ホームの老婆が、自分を世話する看護師へ宛てた手紙でした。

何が見えるの、看護婦さん
あなたには何が見えるの

あなたが私を見る時、こう思っているのでしょう
気むずかしいおばあさん、利口じゃないし、日常生活もおぼつかなく
目をうつろにさまよわせて、食べ物はぽろぽろこぼし、返事もしない(中略)

でも目を開けてごらんなさい、看護婦さん
あなたは私を見てはいないのですよ
私が誰なのか教えてあげましょう、
ここにじっと座っているこの私が
あなたの命ずるままに起き上がるこの私が、
あなたの意志で食べているこの私が、誰なのか(中略)

わたしは十歳の子供でした
父がいて、母がいて、きょうだいがいて、皆お互いに愛し合っていました
十六歳の少女は足に翼をつけて
もうすぐ恋人に会えることを夢見ていました(中略)

いま私はおばあさんになりました
自然の女神は残酷です
老人をまるでばかのように見せるのは、自然の女神の悪い冗談
体はぼろぼろ、優雅さも気力も失せ、
かって心があったところには今では石ころがあるだけ

でもこの古ぼけた肉体の残骸にはまだ少女が住んでいて
何度も何度も私の使い古しの心は膨らむ
喜びを思い出し、苦しみを思い出す
そして人生をもう一度愛して生き直す

年月はあまりに短すぎ、あまりに遠く過ぎてしまったと私は思うの
そして何ものも永遠ではないという厳しい現実を受け入れるのです
だから目を開けてよ、看護婦さん
目を開けてみてください
気むずかしいおばあさんではなくて

「私」をもっとよくみて!

これを読み、私は初めて、自分が美佐子おばさんをただの「壊れた人」としか見ていなかったことに気づきました。
言葉の通じない、心の無い、廃人だと思い込んでいたことに。
作家を目指していたくせに。私は何て想像力がなかったのでしょう。
どうして伯母の立場から世界を見ることが出来なかったんでしょう。

私に、一筋の光が差した!

年を取りたくてとる人なんかいないのに。
病気になりたくてなる人なんかいないのに。
本当の伯母は、不自由な体の中に閉じ込められ、今も助けを求めているかもしれない。
「私に気付いて!」と、自分の苦労しか嘆かない私たちに涙しているかもしれない。
私はおばさんの苦しみを、何一つ理解していなかったのです。

そしてまた久しぶりに私の頭の埋め尽くしたのが、あの亡き父の部屋の光景でした。
認知症を患った彼が、壁一面、魚のうろこのように隙間なく張った大量の付箋。
あの時の母も、今の和ちゃんのように本当に苦しんだことでしょう。
でもやはり、それ以上に苦しみ傷ついたのは父自身です。病に囚われてしまった父なのです。
万能で剛毅な人だっただけに、どんなに心細かったことでしょう。
どんなに助けを求めてもがいたことでしょう。

「何かが見えた気がする」
それはやっと私に差し込んだ、細いけれど力強い光明でした。

【つづく】
※この作品は、登場人物のプライバシーに配慮して設定を変えていますが、私が体験した事実に基づいた物語です。

ABOUT ME
坂本淳仔
アマチュア劇団の座付き作家、ライターを経て、上京後公募作家に挑戦(集英社ビジネスジャンプ漫画原作、池袋演劇祭、KADOKAWA「幽」怪談実話コンテスト、戯曲など多数入賞)。しかし現在は、相次ぐ親の看取り経験から公募審査員のバイトを退職。初任者研修を修了後、レクリエーションボランティアを経て、デイサービスに勤務。高齢者サロンのスタッフ、行政の文化振興委員のお手伝いをしています。