介護コラム

【音楽療法】被災した介護施設でできること

北海道胆振東部地震から1か月……

「電気がつかないってことがこんなに不安と心細さを感じさせることだとは思わなかった。」
地震後の音楽療法のセッションの中で利用者さんが発した言葉です。

災害の少ない北海道を襲った最大震度7の2018年北海道胆振東部地震(ほっかいどういぶりとうぶじしん)。地震が発生した9月6日から早いもので1か月が過ぎました。
私の住む札幌市では、一部の地区では道路陥没などの大きな被害があり、多くの地区では大規模な停電被害に見舞われました。
夜中の3時に地震が起き、地震発生からおよそ18分ほどで停電が起きました。そこから最も早く電気が復旧するまで13時間ほどかかりましたが、電気が復旧したのは、一部の地域のみです。多くの地域では、電気が復旧するまでに1日、もしくは2日の時間を要し、ほとんどの人は暗い部屋のまま何十時間も過ごすことになりました。

時がたつにつれてテレビで取り上げられることも少なくなり、みなさんの記憶からは少しずつ薄れていく震災の報道ですが、実際は、今でも余震がまだ続いています。

今回は、地震という災害の直後に行った音楽療法の時間についてお伝えしたいと思います。

被災地の中心。電気が止まった施設にて

私の勤める施設では、停電により電気が止まり、ナースコールも使用できなくなりました。
入居している方が日常を過ごす食堂では、いつもテレビがついていますが、停電ですので当然テレビがつきません。給湯器も使えないため入浴も中止。エレベーターも使えないので入居している方が外に出ることも、1階にある鉢植えを見に行くことも出来ません。
スタッフも当然被災をしているため、自宅の電気も水も使えない中、歩いて出勤をしてきた人もいます。スタッフ自身も大変な状況にあるので、疲れや不安感が表情に表れていたのかもしれません。
そんな状況でも「こんな時だから音楽があると日常を感じられるのでは」という師長や介護主任、リハビリ主任等の上層部の判断で音楽療法はいつも通り実施する事となりました。音楽療法士としては、嬉しい限りです。もともと音楽療法を行う予定だったユニットの他に、空いている時間を利用して回れるだけのユニットを回ろうという話になりました。

大変な状況下で実施した音楽療法のセッション。どうなってしまうのか不安はありましたが、私がフロアに行くと、利用者さんからは「今日は(レクリエーションなどの活動は)何にもないと思ったから嬉しい」といった声が発せられます。
しかし、皆さん言葉には出しませんが、その表情は暗く、不安感に満ちています。地震について、切り出すべきかと悩みましたが、いつもと違う環境であることには違いないので、あえて地震の話題を振りました。
「大きな地震でしたね」
地震の話をすると利用者さんは口々に「驚いた」「長く生きてるけどこんなこと戦争後には初めてだ」「耳元で大きな音がして」と饒舌に言い、興奮したような表情をしています。戦時中のことを思い出している方や会話のつじつまが合わない方、さまざまな方がいました。

変わってしまった景色、それでも変わらないこと

大きな地震や大規模な停電によって、街や利用者さんの様子などさまざまなことが変わってしまいましたが、その中でも、変わらないことがありました。
それは、「秋」を感じられること。地震後、停電によって信号が止まっている道路を出勤しながらトンボが飛んでいることに気がつきました。カラスもいつものように大群で飛んでいたり、木々の葉の色も黄色や赤に染まってきています。
そんな話を利用者さんに伝え、秋の唱歌から音楽療法を開始しました。「紅葉」「赤とんぼ」「夕焼け」と秋を連想するメロディーに合わせ、利用者さんが歌いだします。叙情的な唱歌を演奏していると皆さんの表情が和らぎはじめるのがわかりました。興奮した状態が安らいできたのとともにその場には、穏やかな空気が流れ始めました。
セッションの最後に、「信号が止まっている中、道路を行く車や人が自然と譲り合っている。外に出れば、知らない人同士が会話をして情報交換をしている」という内容の話をすると、ある利用者さんが言いました。「戦時中の日本はそれが普通だったんだよ」「ご近所同士が助け合っていたんだ。いつの間にか便利になると人と人の関係がなくなっていった」と……。
最後は、戦時中に導入されていた制度のひとつである隣組の内容を歌にした「隣組」を皆さんで歌って終わりました。

街や家から電気が消えて心細さと不安を感じた停電。ですが、その大規模な停電によって、譲り合う心の大切さや人のあたたかさを感じることができました。この出来事は、私たちに「人と人のつながりが大切だと言うことを忘れているよ……」と教えてくれたのかもしれません。

不安と向き合うために音楽療法ができること

震災の起きる前、夜勤の申し送りを見ていると「今日は人類が終わる日だ」という利用者さんの発言があったり、妄想のない方が「あそこに子供がいるよ」と発言していたりと、普段とは違う様子が伺えました。
また、大きな地震のあとは余震が続きます。「揺れを感じるだけで、気持ちが悪くなる」「急に心配になる」「また、停電するんじゃ」と停電しなくても余震によって、多くの方が不安を抱き、その思いを訴えられます。テレビでほかの地域の報道を見て「もっとひどい地域があるんだね」と言いつつも次の地震が来たら、「自分たちが住んでいるところもテレビの地域と同じような被害にあうのではと思う」と話してくれる利用者さんもいました。

私たち職員も大きな不安を感じる災害。歩行に支障があり車イスを使用している方、病気のため酸素療法を必要としている方、認知症のため変化への柔軟な対応が得意ではない方など、介護を必要とする多くの方は、不安とどのように向き合えば良いのか、不安をどうコントロールするのかという手段を持っていません。

音楽療法は、音と音がつながり安心感、一体感を感じることができます
音楽療法によって、心が安らぎ、一時でも不安な気持ちを忘れられるのであればうれしいという気持ちで、今回震災直後に音楽療法を実施しました。
実施することによって、利用者さんへの効果だけでなく、私自身の不安な気持ちも利用者さんの気分の変化と共に緩和されていったように感じます。

ミルトン・メイヤロフという哲学者は、ケアの相互性について

「相手のためにケアする自分を〝強くする〟のである。」
田村真・ミルトン・メイヤロフ『ケアの本質ー生きることの意味』(ゆみる出版、1987年)

と語っています。地震後の音楽療法は、この言葉を強く実感する経験になりました。

私事ですが、8月末、同居していた祖母が亡くなりました。99歳という大往生でしたが、あまりにも急なことだったのですぐには気持ちの整理が出来ず、不安定な感情を抱いた日々を過ごしていました。そんな中での地震。
利用者さんとの地震後のセッションで感じた空気、感情は、地震による不安な気持ちだけではなく、祖母を亡くした寂しい気持ちをも受けとめて発散させてくれたような気がします。
意識がない祖母の枕元で行った音楽療法に関しての体験は、また機会があれば伝えられたら嬉しいなと感じています。

日々、生活をしている中で皆さんの周りにも色々なことが起こっているかと思います。誰かとその気持ちを共有しながら、助け合いながら、支え合いながら……。良い方向に向いて、解決していくことを心より祈っております。

ABOUT ME
小森亜希子
大学、大学院と音楽療法について学んだ後、認知症対応型グループホームに勤務。認知症の方とのコミュニケーションの取り方や終末期について多くのことを学び、音楽が様々な記憶と結びついていること、気持ちを落ち着かせるために有効であることを実感。認知症介護実践者研修、認知症介護実践者リーダー研修を終了。現在、介護老人保健施設で介護業務に携わりながら、音楽療法の効果をケアに結びつける具体的な手段を模索中。【保有資格】日本音楽療法学会認定音楽療法士、介護福祉士