職員から「サツキ(仮名)さん、退院してきてから夜通し呼ぶので大変なんです~」と悲鳴。
サツキさんはもともと昼夜問わずトイレ頻回な方。もうすぐ97歳になります。2ヵ月前に転倒し入院。大腿部頸部骨折OPE。1か月ほど前に退院されました。
職員へ「もういっそのこと、サツキさんのベッドの下で仮眠とれば?」と私。職員はニタ~として「でもほらツツジさんもいるし』と返答。「ツツジさんもさ、寂しくて夜寝つけない人なんだから、マジメに3人で川の字がいいんじゃない?」と追い打ちをかける私。職員は笑っているが、私の発言はあながち冗談でもありません。
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ご飯をたべなくなったサツキさん
サツキさんは昨年暮れから元気がなくなり、今年に入ってからご飯を食べなくなりました。食事介助を試みたり、食事形態をおかゆにしたり、職員はあの手この手を尽くしましたが、食事量は上がっていきません。
ご家族とも何度も相談をし、もちろん内科受診も勧めましたが、ご家族は『もともと病院も薬も嫌いな人だから、病院ではなくてここに居させてほしい』との事でした。
サツキさんは若い時分は看護師をしていて、ご本人に話をしても、『そんなところ行ってどうするんだ?薬?バカじゃないの~』と笑い飛ばす始末。認知症はあるが意思ははっきりされている方です。
状況は深刻に
予想していた事ですが、2月頃からサツキさんの状況は増々深刻になっていきました。もう自分から動くことも話すことも殆どなくなり、顔も真っ白。素人目にみても鉄分が不足しているのはわかりきっていました。
私は家族に「医師も看護師も常駐していないホームで出来る事は限られています。このまま医療に依らずに見送る方向でいいのですね」「そろそろ覚悟をしておいて下さいね」と何度も意思の確認をしました。
ご家族様は頻繁に面会に来てくれており、娘様は『母は大好きなこのホームに居たいと思います。どうかお願いします』と涙を浮かべていました。その頃から、出勤するとまずサツキさんの居室に行って顔を覗き込むのが私の日課に。“このまま息を引き取るのならホームで看取ってあげられる。どうか安らかに…”と祈るような気持ちでした。
3月のある夜8時頃、突然電話が鳴った
電話はホームから。直ぐにサツキさんの顔が頭によぎりました。予感は的中で、サツキさんが転倒した、と。居室でバタっと音がして、駆けつけると横たわっていた、とのことです。
貧血だったかもしれないし、低栄養だったかもしれないし、脱水だったかもしれないし、下肢筋力の低下であったかもしれない。夜間は1対9の職員割合。職員は責められません。
翌日よりサツキさんは嫌がっていた病院へ入院することになりました。ご家族様も骨折しているサツキさんを何の治療もせずにおこうとは考えなかったようです。手術するにはそれに耐えうる身体状況が必要。サツキさんは本人の意思とは裏腹に、医療処置(経管栄養)を受け入れる事となりました。
事故の前、『人間いつかは死ぬんだから、最期に病院に通ったってしょうがないだろう』と言っていたサツキさんの言葉が思い出されて仕方がありません。私は弱っていくサツキさんを見ていて、このホームで看取ってあげたい、自然に死を迎えられるようにしてあげたいと思っていました。96歳だもの。十分に天寿を全うしたのだろうと思っていました。
人の命の行方とはわからないものだ
入院中、サツキさんの健康状態は非常によくなり、みるみるうちに元気になりました。もちろん、以前のように歩くことは出来なくなりましたが、大腿部頸部骨折も完治。いよいよ退院できる運びとなり、ご家族様が僕を訪ねてきました。
息子さんは神妙な面持ちで『無理を承知でお願いするのですが、今までのように歩けない母ですが、またホームに帰してあげたいんです』と静かに言われました(私のホームは認知症の進行防止や生活リハビリに特化しているため、常時車椅子が必要な方は退去となってしまうことがある)。
「職員はみんな、サツキさんが戻ってきてくれる事を祈っていました。お断りする理由は何もないですよ」。
それを聞いた長男さんは安堵の表情を浮かべて、何度も頭を下げられていました。
サツキさんは、サツキさんのままで
サツキさんは今日も元気。相変わらずよく冗談を返してくれます。夜になると寂しくなって職員を困らせたり、夜勤職員は一睡も出来ない日々が続いていますが、愚痴を言いながらもみんな頑張ってくれています。
今のこの大変な時期が終わる時、うちの職員は僕と一緒にきっと泣いてくれるに違いありません。その時が決して遠くないことをみんながわかっています。
サツキさんがもう病院には行かないで、安らかに、安らかに眠れることを私は祈っています。