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連載介護小説『ユウキの日記』vol.1

第1話「新生 アラフォー介護職」

妙齢の女の指が、もつれることなくノートパソコンのキーボードをたたいている。
液晶にはメジャーなブログサービスの記事投稿画面が表示されていて、女が両手を滑らせる度に、文字がすらすらと入力されていく。
「……よし、これでいいかな」
一通り記事を書き上げた女は、何度かスクロールして画面を確かめると、自身の文章にうんうんと頷いた。
誤字も脱字もないことを確かめて、「投稿」ボタンをクリックする――。

介護職一年め!アラフォー女子の奮闘ブログ

はじめまして。私は現在、介護職員1年生として某施設で働いている有紀(ゆうき)です。
年齢は、ついに大台の40代になってしまいました。バリバリの異業種から介護の世界に飛び込んだアラフォー女子です!
このブログは、介護職に興味のある人やこれから介護職を目指す人に、少しでもエールを贈れたら……と思って書くことにしました。
初投稿の今回は、私が介護職を目指すことになったきっかけの話をしようと思います。
拙い文ですが、最後まで読んでいただけたら嬉しいです。

「有紀、お父さん死んじゃった」

それは2年前のこと。当時の私は、夢に向かって最後の挑戦の真っ最中でした。
学生の頃からなりたかった「作家」。
制作会社でミニコミ誌のライターを経験し、シナリオスクールに3年通い、何度も何度も挫折を繰り返した後、やっとやっと某有名雑誌の小説募集で佳作入賞!

担当さんが付き、さあ大賞&出版に向けて突っ走るぞ!と思った矢先のことでした……。

あれはまだ、ホテルの授賞式の興奮も冷めやらぬ頃。
「お父さんがまた入院することになったの」と、実家に住む母親からの電話が。

私の父はその前の年まで私立小学校の校長をやっていました。優秀で堅実な父を慕って、正月になると教え子や教師仲間が我が家に集まっては盛大に宴会をしたものです。
でも、私はそんな父が苦手でした。理由は簡単。私は勉強が出来なかったからです。

小さい頃は、父の名を知るとどの教師も満面の笑みで私にやさしくしてくれました。
ところが中学3年の進路指導の頃になると、妙な期待を持たれて嫌味を言われてばかり。父の存在が、プレッシャーになっていました。

トラウマ……というべきなのか。父の元を離れて20年近く経った今も、父の名を聞くだけで、お腹の裏の方がギュッとつねられたように痛くなるのです。

そんな父の入院。しかも三度目。そしてまたも心筋梗塞。

「有紀、お父さんもう長くないかもしれないから、一度帰ってらっしゃい」は母の決まり文句です。
あの人は、私が父から逃げているのを知っているから。そして、いまだ定職に就かないアラフォーの独身娘に気をもんでいるから。
もっと言えば、そんな娘に育ててしまって優秀な夫に申し訳なく思っているから、いつも同じことを言う。
「一度帰ってらっしゃい」って。

当然、私は帰りません。特に今は、やっと長年の夢が叶うかもしれない勝負の時。今あの父に会って、劣等感だらけの昔の私に引き戻されてはたまりません。
主治医は、父を妄信する元教え子だと聞いていました。だからどうせ、また回復するに決まっていると思い込んでもいましたし。

ところが、その電話から数日もたたないうちに
「有紀、お父さん死んじゃった」

病院につくと数時間前まで父だった抜け殻が横たわっていました。
正直、母が隣で泣いていなければこれが誰なのか分からないほどの変わりようでした。身体は、まるで竹に和紙を張った番傘のようだし、肌もなんだか緑色がかった変な色に見えました。
誰かが「これは人形だよ」と言ったら、「そう思った」と納得したかもしれません。
とにかく、その身体からは父の威厳や重みはすっかり消えていました。そして私は、自分がもう何年も父に会っていなかったことを思い知ったのです。

「自分の親が、あの父が死ぬなんて」
私はまだ夢の中のいるような気分のまま、母に言われて葬儀場に飾る父の遺品を取りに実家に行きました。
実家に戻るのも4年ぶり。父の部屋に入るのはもう分からないくらい久しぶりです。
中にはたくさんの専門書や感謝状が飾られていて、入る度に馬鹿にされたような気分になった父の部屋……。
しかしそこで私は、衝撃の光景を目にするのでした。

「……何これ!?」

カーテンが閉め切られて暗く空気のよどんだ部屋。
壁という壁、本棚や机の引き出しにまで隙間なくびっしりと魚の鱗のように張られた、大量のメモ用紙。

(くすりをのむ)(えあこん25ド)(ネル前トイレ)……

それは壁に残る壮絶な父の戦いの跡。
あの全てにおいて万能な父が、死ぬ間際まで一人懸命に戦っていた相手。

「認知症」

私は、この時初めてその本当の意味を知ることになるのでした。

【つづく】
※この作品は事実に限りなく基づいたフィクションです。

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